今回のアイキャッチ画像は、WordPressが提供するAI生成機能によるものだ。何が生成されるのかは投稿ボタンを押すまで私も分からない。もしかしたら最初で最後かもしれない。
ブログ更新の労力と、AI活用による効率化
久しぶりにブログの更新作業に没頭した。気づけば深夜3時を過ぎており、かなりの疲労感がある。継続することに意味はあるが、一度に集中してやると大変な労力が必要だと改めて感じた。
今回の更新作業では、活動の記録を音声メモとして残し、それをAIで文字起こしするという方法を試している。編集作業に10時間近く費やしたが、そのうち7〜8割は写真の選別と編集だった。文章作成の負担が減ったのは確かだが、AIによってすべてが楽になったわけではない。
特に写真の扱いは今後の課題だ。この3日間で500枚近く撮影した写真の中から、公開に適したものを選び出す一次選別が重要になる。一次選別のやり方は至極簡単。ぱっと瞬間的に見て使える/使えないを仕分けるのだ。この仕分けされた写真に対して、RAWデータによる確認やら何やらを行う。この選別作業を効率化しないと、比較検討に時間がかかりすぎてしまう。選んだ写真には、何かしらのコメントも入れていきたい。
私にとってのブログの役割と、SNSとの違い
そもそも、私がブログに求めているのは閲覧数ではない。もちろん、見てもらえるに越したことはないが、それ以上に、自身の活動を効率的にアウトプットし、後から振り返ることができる状態にしておくことが重要だと考えている。人間の記憶は曖昧で、すぐに薄れてしまう。だからこそ、日々の活動を記録し、形として残すことに意味がある。
以前はX(旧Twitter)で同じようなことをしていたが、最近は使い勝手の悪化を感じる。文字数や写真の枚数制限といった制約も多い。他のSNSも考えたが、それぞれに一長一短があるだろう。Instagramには積極的に写真を投稿したいが、ブログとは全く別の運用になるはずだ。
氾濫する情報と、私なりの向き合い方
Xのタイムラインは、少しでも意図しないアクションを拾うと、すぐに興味のない情報で溢れてしまう。自分の好きなものでタイムラインを埋め尽くすことはできるが、それは心地よいだけの「エコーチェンバー」を形成することにも繋がり、健全な情報収集とは言えない。だからこそ、Xだけでなく新聞など他の情報源も併用し、多角的な視点を持つ努力を自ら課す必要がある。自分が本当に正しいのか、その考えは一面的ではないかと常に疑う姿勢が重要だ。
最近はニューヨーク・タイムズや朝日新聞のアプリで、見出しだけでも目を通すようにしている。英語の本文をすらすらと読む力はまだないが、見出しだけでも大まかな内容は把握できる。AIの翻訳機能も助けになる。限られた時間の中で、全ての情報を網羅することは不可能だ。見出しから情報を取捨選択し、効率的にインプットしていくスキルが求められる。
AIとの共存と、その先にある未来
音声の文字起こし機能も数日使ってみて、思うように認識されないことがあるとわかった。これはAIの性能の問題というより、むしろ自分の話し方がAIにとって聞き取りにくいのかもしれない。AIが認識しやすい言葉とは何か、少し考える必要がありそうだ。そして、何でも「AI」と一括りにするのも乱暴な解釈だろう。いずれにせよ、ディクテーションによる入力に慣れることは、次の時代に適応するためのスキルになるかもしれない。
いつの日か、「AIが正しく解釈できる言葉こそが正しい言葉だ」と見なされる時代が来るのだろうか。
最後に、AIに作業を任せるといっても、最終的な責任は自分にある。AIが生成した文章が、本当に自分の意図を反映しているかを確認し、判断するのは自分自身だ。「AIがやったことだから」と責任を放棄するのは、間違ったAIの使い方だろう。
さて気が付けば昼である。このようなことばかりしていないで、人としての活動を開始しなければなるまい。


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